8.21


俺は自分の事が嫌いだった。


正確には今でも、自信を持って自分の全てを好きとは言い切れない。


幾分、昔に比べたらマシになったってくらいか。

 そりゃあ、もう立派な大人なんだからそんな些細な事でくよくよしてらんないってのもあるが。


でも昔ほど、自分を毛嫌いする機会は少なくなったとは思う。

思い返せば、キッカケをくれたのは彼の一言だった。




元々俺は気弱な子供だった。


気弱な自分を隠すために、人前では常に気を使った。

地区長やら、学年会長やら、市の子供会議の取り纏めやら、なんでも引き受けた。

常に人の気を伺っては、笑顔を作って、機嫌をとるピエロのようだった。


でも家に帰れば、その仮面はすっかり剥ぎ取られる。


「お前がやる事は全部ダメだ」

「お前がいると家族が不幸になる」

「出来損ない」


実際、周りからも見透かされていたかもしれない。


失敗して落ち込んだりすると、自分への自信が揺らいでは、あの人が言う通り、周りの人を不幸にしてしまうのではないかという不安に押し潰されそうになった。

そうしてまた、弱い自分を隠すことに必死になっては、要領が追いつかず、失敗しては、また自信を失った。




実家を飛び出して上京した後でもそれは変わらなかった。


好きな人が出来ても、運良くその人と付き合えたとしても、最後は後ろめたさが上に立つ。


俺と一緒にいて、本当に幸せなのか?

俺と付き合う人は世界一の不幸者なのではないか?

別れた方がいいんじゃないか?


そうやって気が付いた時には、背を向けてしまう。

自分から距離を取って逃げてしまう。


そう俺は、彼にも同じ行動をとったのだ。


でも彼は言った。


「自惚れんな」




衝撃だった。

正直、この言葉に最初は反感すら覚えたが、ようやく気付かされたのだ。

俺は自分に酔っていたのだ。

自分を守る衣だと思っていた自己肯定感の低さは、実は感傷の毛布で、それを抱き抱えて生きる可哀想な自分に満足していたのだ。


悔しいが、彼にはそれが一瞬で見透かされたのだ。


あれから3年ほど経ったが、あの言葉に出会えていなかったら、俺は変わることが出来ていなかったように思う。




 自己肯定の話。


「自分を愛せない者が他者を愛せるのか」


俺の頭の中でずっと繰り広げられてきた命題だ。

先に言うが、今でも結論はついていない。


自身という概念は、他者の存在によって成り立っていると俺は思うのだ。

逆も然り、他者という概念は自身という存在があるからこそ成り立っていると俺は思うのだ。


つまり友愛であれ、恋愛であれ、自身と他者の関係性において、双方向的な関係が前提になるのは、いうまでもない。


自身が自身の事を好きでなければ、自身に好意を抱いてくれるその人考えを最後まで受け止める事はできないだろう。


最低限、自分の事を好きになれなければ、きっとこんな事を思うだろう。


なんでこの人は俺の事が好きなんだろう。

もっと他にいい人がいるんじゃないか。

自分なんて、自分なんて。


俺は完全にこの思考に陥っている人間だった。




でも安心したのは、100%自分の事が嫌いな人ってのは案外いないって事だ。


人は、本能的に脳によって生きるようにプログラムされている。

人は自分を生かすために、物を食べるし、睡眠をとるし、性を貪る。

自分を嫌いになるように“錯覚”させているのは、ある種の生きるための脳の防衛術なのだ。

結局、大好きな自分を守るために、自分を嫌いだと錯覚していたのだ。

本能的に自分が嫌いならとっくの昔にその人は死んでしまっているのだ。


極端な話をしてしまったが、人は100%自分を嫌いになる事はできないだろうし、自分が嫌いというのは脳が見せる錯覚なのだと自覚したら、幾分、楽になった。

しかし、脳の錯覚を破るのは、容易な事じゃないのは、誰だってよくわかっていると思う。




遠回りをしたが、話を戻そう。


俺は彼からこの言葉をストレートに投げつけられてから、自分との戦いが始まった。

自分を好きになるにはどうしたらいいか。

自分を嫌いになったのは、自分の脳の防衛反応だ。

親から暗示のように毎日貶され罵倒された末に得た護身術だ。

それを丸裸にするのは、容易なことではないのだ。


誰かさんの言葉を借りるが、人間を作りあげるのは言葉だ。

マイナスな言葉を自分に言い聞かせ続けてきた結果、マイナスな思考の人間が生まれたストーリーが展開されてきたわけだ。

逆に言ってしまえば、プラスの言葉を自分に言い聞かせることさえできれば、徐々にプラスな思考は芽生えてくるのだ。


俺自身のこれまでの短い人生からも、誰かさんの姿からも、その実感を得るには十分だった。


なるべく自分を肯定しよう。

考え方や生き方、所作や行動、取り巻く環境、関わる人間関係。

ありとあらゆるものを肯定するように努めた。

変わる必要があるなら、できる限り、変化を起こしてきた。

時間はかかったが、自分を取り巻く言葉がマイナスからプラスに変わるだけで、世界は逆転したのだ。

昔から好きなつもりでいた、空の青さも、珈琲の香りも、こんなに鮮やかだったなんて、昔の自分では気が付かなかったと思う。

 

もちろん、人が100%マイナスになれないように、100%プラスにもなれないのは言うまでもない。

先にも言ったように、マイナス思考とはいわば脳の生きるための防衛反応なのだ。

それは脳科学的にも人の脳はリスクを避ける為にマイナス思考になりやすいと証明されているらしく、マイナス要素のない人間がいたとしたら、それはとても気持ち悪いことだ。


例えば、夏の満員電車で汗をかいたら、不快な気持ちになる人がほとんどだろう。

怪我をしたら、風邪をひいたら、嫌な気持ちになるのは当然だろう。

そう言うことだ。


もうちょっと砕いて言うと、100%プラスになれ、と言うことではなく、プラスの割合を増やすとか、プラスの出来事を自覚的に捉えるとか、マイナスともプラスとも取れる事象だったらせめてプラスに考えようとか、必要以上にマイナス思考に持っていかないようにしよう、と努めてきたのだ。


最初に、自信を持って自分の全てを好きと言い切れない、と言った理由はここにある。

自分の全てが嫌いなわけではないが、俺はまだ変革途上にいるし、自分の嫌いな部分があるからこそ、成長できる有用な場面もある。

少しずつ、自分の好きなところを自覚しつつある、と言ったところだ。




そうやって、如何にプラスの言葉で自分の脳を騙すか、 を実践してきた。

俺は顕著にその結果が現れた。 

もちろんそれが当てはまらない人がいることも重々承知だ。 

あくまで、これは俺個人のストーリーというわけだ。

 

ただ、俺みたいな人は少なからずいるだろうという実感も実はあるのだ。

 

いつも会社の愚痴を、人の陰口をこぼしているあの人。

意識して聴いていると、会話は言い訳が埋め尽くして、毎日しんどい、しんどい、と嘆いている。 

多少しんどいことがあっても、大丈夫、なんとかなるっしょって言ってる人は大体なんとか切り抜けている。 


如何に自分の脳を騙すか。

そこが論点なのだ。 

それが生まれながらにできている人を俺は尊敬する。




…ついでにオマケの話。


どんなに頑張ってもマイナスな思考しか出ない時ってのは、脳が休息を訴えているのだ。

先の話を読んでいれば分かるだろうが、脳の防衛反応が出ているのだ。 


そんな夜はサッサと寝てしまうのがいい。 


どうしようもないマイナス思考は体の不調がそのまま来ているのが大概だ。 


人の身体ってのは、案外丈夫じゃないものだ。

これも大学時代、早朝から深夜まで、毎日休日もなく必死に動き続けた俺が実感したことのひとつだ。


あの頃は、空を見上げる余裕もなかったなあ。

地元、諏訪の湖と空。

昔はこんなに鮮やかには見えていなかった。


懐かしいだけの、異世界。

今度帰った時には、もっともっと様変わりしてたら、いいなあ。

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